教室日記 >>>シュウ先生のいちばん長い日

午前9時、受付をして診察室の前で待っていると、

「内視鏡検査にご案内します」

とキレイな看護婦さんが前に立った。

「あ、N田さん」

10日ほど前、胃カメラを予約したときのことである。受診方法を説明してくれたのがN田さんだった。そのとき、注意事項を聞いているうちに不安になってきたボクが

「体は大きいのですが、弱虫で意気地なしなので先生にご迷惑かけそうです。どうか暴れたら容赦なく押さえつけて突っ込んでもらって下さい。」

と、真顔で頼むと、彼女は目をくりくりさせながら笑いころげた。そして

「そんなこと言う人初めて。でも残念、2月1日はわたし遅番で午後からなんです。」

笑われてブゼンとしているボクに彼女は確かそう言ったはずだった。

シフトの都合で午前中からの勤務になったのだろうか。何はともあれ、顔見知りの美人看護婦さんといっしょだというだけでとても心強い。エレベーターで検査室に向かう道すがら、N田看護婦は知らん顔でいたずらっぽく笑っているだけである。

最初は麻酔をかけるために、リクライニングした椅子の上で、ゼリー状の麻酔薬を喉に留めたまま、10分ほど耐える。呼ばれて診察室に行くと、入れ違いに検査の終わった前の男性が、目を真っ赤にして、涙も鼻水もよだれも垂れ流し状態で嗚咽しながら出てきた。それを見送って診察台に横に寝そべる。いよいよ医師が前に座って、肩に胃の働きを一時的に鈍くする注射を打つため、問診を始めた。岩石のような強面の医師が、ボクのカルテを見て「ぶぷっ」と吹き出した。

「きみは弱虫なのかい?」

岩石が可笑しそうに言った。

申し送り項目か何かにN田看護婦が書き込んでいたのか、さっき耳打ちしたかに違いない。医師の後方で肩をすくめて笑いをこらえている彼女が見えた。くくくぅー。こうなったら、意地でも彼女の前で鼻水やよだれだらだらはできない。年配の看護婦さんが

「痛くないでしゅよー」

と、弱虫向けの赤ちゃんことばで言いながら注射を打って、口に管の穴があいた器具をくわえさせた。強面に戻った医師が持つ黒いケーブルの先で青白い光が眩しく光っている。

同じ頃、都内某所では我が教室で今年唯一の中学受験生Dが、第一志望のS中学の入試に挑んでいた。内視鏡の検査を遅らせたのもそのためだ。もともとボクの職業上の専門は中学受験の算数で、業界では花形スターのポジションである。しかし、教室を今の場所に移転する際、近くに専門の大手塾があったので、営利上の理由から中学受験のコースは作らなかった。それでも、親御さんから相談を受ければ、むくむくと闘志が湧いて、不採算覚悟のコースができてしまっている。宣伝もしていないので、人数はきわめて少ない。

Dは今の子には珍しく、気はやさしくて力持ちタイプの子で、受験生としてはかなり不利な性格だが、それだけに、どうしてもボクたちの力で第一志望に合格させてやりたかった。2月1日は東京にあるほとんどの私立中学が入試の日である。

「目を開けて!!」

年配の看護婦さんが叫んだ。胃カメラが喉を通るときに、合図に合わせて嚥下動作をするように言われていたが、強烈な吐き気が突き上げて思わず目をつむっていた。

「よし!いいよー。」

するするとケーブルが喉を入っていくのを感じた。一度、飲み込んでしまえば、あとはそれほど辛くない。先端が胃を通過するときに、胃壁にぶつかって何度かこみ上げたが、「力を抜く」「ゆっくり呼吸する」と10日前の注意事項を一心に思い出しながら事なきを得た。最後にケーブルを喉から抜くとき、さすがに声を上げたが、とうとう一滴のよだれをこぼさずに検査を終えた。口にたまった唾液をティッシュに始末してからすぐにN田看護婦を探してあたりを見回したが、彼女の姿はもうなかった。きっと次の人の案内に行ったのだろう。

医師がPCのモニタで撮影された画像を見せてくれる。消化管の内側とはなんてキレイなものだろう。うすいピンク色の洞窟が続いている。太古の海でタンパク質の膜が外部と内部を分けたとき、その出入り口はひとつしかなかった。刺胞動物と呼ばれるクラゲの仲間は現在でも肛門を持たず、口で摂取、排出の両方を行っている。入り口と出口が分かれて消化管が生まれた。消化管と体皮の間を体腔と言うが、生物学的には人間も進化の過程で体腔が複雑化しただけに過ぎない。動物の本質は消化管なのである。

「薬をちゃんと飲んでいたようだから、胃の方の潰瘍はほとんど完治していますよ。」

と、言いながら医師が最後に近い二枚の画像を拡大した。

「これが十二指腸潰瘍です。」

ちょうど、肌を数箇所蚊に刺されて、うっかり掻いてしまったような赤い腫れ物が写っていた。暮れに七転八倒させられた元凶はこれらしい。

「ストレスが原因ですか?」
「もちろんです。」

ボクは目下最大のストレスとなっているS中学の入試を思い描いた。十二指腸がピンポイントでしくりと痛む気がした。

病院を出て携帯の電源を入れるとDのお母さんからメールが入っていた。

「やっぱりカレンダー、大問で出てました。」

日暦算といって周期を利用して曜日や月日を計算する。大小の月、うるう年などがからんで複雑になると、頭の固い大人には全くついてこられなくなりわくわく楽しい。S中学の説明会で担当が出題をほのめかしてくれていた。

「Dは日暦算が苦手でいつも一日二日ずれてしまうのです。途中式で2点でも3点でも拾えてるといいんですが…」

ボクはそう返信しながら、家で麻酔がきれるのを待った。麻酔がきいているうちは食べ物が気管に入る危険があるので、食事ができない。たった半日でも飲まず食わずで検査したりすると、何だか体に力が入らないものだ。

早い昼食を食べて、出勤途中で試験帰りのDと待ち合わせた。教室に着くと、先に出勤していたなおみ先生と争うようにDの持ち帰った問題用紙に飛びつく。数時間後に合格発表があるのだが、どんな問題が出て、Dがどのように解答したか確かめずにはいられない。

算数の1問目、2問目は計算問題だ。余白にあるDの計算手順の悪さを厳しく指摘しつつも2問とも正解。3問目、池に立てた長さの違う棒の水中部分の割合と長さの合計が与えられていて、それぞれの棒の長さを求める定番の問題。逆比をとって長さの割合を求めるところで、Dの式のミスが見つかった。ここで点を落とすと絶望だ。Dの顔色が変わる。ところが、さらにその計算ミスが発覚して、ボクの答えと一致した!

るあっっきぃぃいい!!なんという幸運。そのまま、正解にたどりついている。二人でガッツポーズ!

「オレが夏に大宰府で神さまにお願いしたのがきいたんだろう。」
「オレだって、元旦に湯島天神に行ったし。」

意見の分かれる師弟。

「おお!よくこの問題解いたなぁ。うが!これは2度目に跳ね返った高さと書いてあるが、まさか…。」
「あ、読み損なった。」
「ばっかやろー!!こっちの図形は何て答えた?」
「平行四辺形」
「ちゃりちゃーん!切り口は辺の長さを全部確かめろって言ったろー!!ひし形だよ。」

最後の大問を残してDの得点は50点。算数ではどうしてもあと5点必要だ。そしてボクは最後の日暦算を解き始めた。

「うるう年は…3回だな。」
「え?」
「お兄さんの誕生日は2月29日より後だから、この年も数え…」
「あ…」
「ま、まさか…」

こっくりうなずくD。

「あがー!」

当たってほしくない予想がずばり的中して答えは一日ずれていた。ちょうどそのとき、

「国語採点終わった。」

なおみ先生がふふんと小鼻をふくらませた。

「配点にもよるけど8割弱、きっちり75点は確保よ。」

S中の合格ラインは130点、ボクは問題の難度やDの相性を考慮して国語75点、算数55点と目標を配分していた。

日暦算の方は問2も不正解で、いよいよ最後の一問。

「捨て問だったから、勘で日曜日って書いといた。」
「あ、そう^^;」

「捨て問」、それはたいてい大問の所定の場所にある難問のことで、レベルをかなり高く設定してある。目標点によっては手をつけないのもテクニックだから勘でうめたDの判断は正しい。確率1/7、これが当たれば合格だろう。

うるう年は4年に1度、西暦が4の倍数のときに来る。地球の公転周期が365と1/4日だからだ。さらに微調整のため100の倍数で400の倍数でない年は平年にする。去る2000年は「うるう年なのにうるう年でないのにやっぱりうるう年」という、関ヶ原の戦いがあった1600年以来の珍しい年だったのだ。

周期をとって計算を終える。答えは水曜日だった。固唾を飲んで見守っていたDとなおみ先生が同時に溜め息をついた。万事窮す、届いていない。倍率が4倍を越える入試はそうしたものだ。

「あしたに備えよう。」

うつ向くDの背中をばんとたたいて、ボクは立ち上がった。S中などの中堅校は複数受験者を考慮して入試を分散していてる。S中も1、2、4日に定員を分けて募集している。出願や手続き、発表時間などがからみあったスケジュールを受験生は毎日こなさなければならない。D自身もすでに日程の違うC県にある付属中学を合格していて、一時金を納めているが、きょうからの試験に苦戦すれば、親の負担は増え、本人のプレッシャーはあがり、ボクのピンクの消化管は溶け始める。もとより、覚悟ではある。

「シュウ先生先生、途中点どれくらいもらえるかなあ?」
「来い」

とボクはしょげるDを連れて駐車場の車に行った。あいにく、朝から冷たい土砂降りだ。やむを得ずしばらくエンジンをかけて暖房し、並んでシートを倒した。

「何するんすか?」
「昼寝だ」
「はい」
「D、お前は理社が得意なんだから、もともと4科入試の明日が勝負なんだ。」
「うん」
「きょうはウォーミングアップみたいなもんだがよく健闘した。途中点もらえて合格すれば、もうけもんだが、もうそれは考えるな。」
「うん」
「4科の実力では圧倒してるんだから、きょう落ちても、あした堂々とぶちかましてやれ!」
「うん。わかった。じゃおやすみ!」

おいおい。本当に寝られるのか。確かにきょうは早起きだったから、眠いだろうけど、ここで寝られる度胸なら、あしたは大丈夫かもしれない。寝入ったDを見ながら、検査のための空腹で睡眠不足だったボクも意識が遠退いてきた。

なおみ先生がウィンドウをノックする音でふたりは目覚めた。30分ほど熟睡していた。夕方の授業が始まって間もなく、なおみ先生が事務室から呼びにくる。発表の時間だった。なおみ先生からも同じように「明日が勝負」と励まされて覚悟を決めたDがPCの脇に座っている。IEの画面はすでに合格発表のページが開いていたが誰もスクロールする勇気がない。そのとき何の根拠もなく、ボクは番号があるような予感がして、躊躇なくマウスを操作した。

あった。

Dとボクたちの苦しい受験勉強が終わった。なおみ先生がDに抱きついて、ボクは呼び込んだ子どもたちとハイタッチした。電話や携帯が一斉に鳴って職場や自宅で発表を見たDの家族から喜びと感謝の声が届く。照れ屋のDは何を言われても「えへへ」しか答えない。授業に戻って、通常の忙しさに巻き込まれた頃、Dは迎えに来た母親と一緒にS中の入学手続きに出掛けて行った。こんな日がまだ、高校受験で何日も残っている。果たしてボクの繊細なピンクの消化管はもつのだろうか。

夜の中1の授業は体力のいる「柱の定義」だった。四角形や円が垂直方向に移動した軌跡が柱になることを見せるために、切り抜いた段ボールを素早く上下させる。

シュウ先生「素早すぎてボクの手は見えません!」
生徒たち「ぜんぜん見えるしー」

と、毎年、定番の受けを取りながら、何と長い一日だったのだろうかと考えた。病院で検査を受けたのがきょうのこととは思えない。昼寝をはさんだから、長く感じるという見方もある。

 

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