教室日記 >>>最後の試合
2009/6

EF300F/4Lにブロアを当て、愛機にフル充電した電池と45MB/sのエクストリーム4を装着した。今日は中3の健太、さとる、大悟、徹の所属するサッカー部が、区大会突破に向けて最強のライバル中学と戦う日だ。負ければ彼らの中学サッカーは終わる。

すでに中3クラスでは、それぞれ別の中学に通うテニス部のNみ、サッカー部のT太などが次々と敗退して部活を引退している。ボクたちの教室としては、そうした運動部の子たちがみな負けたところで、ようやく受験に向けて落ち着くわけで複雑な心境でもある。

会場の中学に着くと、すでに試合が始まっていた。

「先生ー!」

と大悟ママが鉄棒の観客席から手を振った。

ありゃりゃ、ダメダメ、先生って呼んじゃぁ。望遠レンズを持って入るのを不審がられたときは「大悟の父です。」と言って突破する打ち合わせだったのにぃ。

試合は劣勢だった。敵のディフェンスラインはとても鍛えられていて健太たちのチームは攻撃の形を作れない。

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勉強もできてスポーツも万能、端正な顔立ちをしていて、誰にでも優しい子がたまにいる。健太はそんな子だった。前日の試合で、痛めていた足首をさらに削られた。今朝になっても腫れが引かず、テープをぐるぐる巻きにしてピッチに立っている。ときどき、腰に手を当てて顔をしかめる様子が痛々しい。


「あんな状態でも控えの選手よりいいんですか。」

なおみ先生が見かねるように大悟ママに聞く。

「あの子は気持ちが強いから…」

大悟ママが答えた。

体格で勝る敵の間を精力的に動き、攻撃的な中盤を組む徹との絶妙なコンビネーションで何度もボールを奪うが前線の大悟には繋がらない。相手のディフェンスラインが固い。一方的な展開のまま、前半20分すぎに中途半端なクリアボールをさらわれて先制を許した。

◆◆◆

健太がお母さんに連れられてなおみ先生の英会話を見学に来たのは小5のときだったろうか。すっかりなおみ先生を気に入って、たちまち英語が好きになった。シャイでクールな性格なので、教室では何も言わないが、家に帰ると、いかになおみ先生先生がすごいかということを語りまくっていたそうだ。おかげで彼の近所の子ややサッカー仲間が次々と教室に入会した。

image2大悟もその中のひとりだった。底抜けに明るい性格で、成績も良く、サッカーでは小さいときから不動のFWである。

「大悟、高校のサッカー部に入ったら、オレをコクリツ(国立競技場…全国高校サッカーでベスト4以上の試合会場)に連れてってくれ。横断幕作って応援に行くよ。」
「うっす!」


その代わり、絶対サッカーの強い志望校に合格させる。…彼と何度も交わしている約束だ。

敵のプレッシャーが強く、中盤が押し込まれているために大悟は力を出すことができない。0-1のまま、前半が終わった。疲れ切ってベンチに戻る選手を他の部員たちが出迎える。下級生たちに交じって、給水のボトルを持つさとるの姿が見えた。

◆◆◆

image3さとるは健太の幼なじみで、英会話こそ入会しなかったが、本科には健太と机を並べた。ワンテンポ遅れるようなところがある上に老成したような物言いをするので、学校ではよくいじめられていたらしい。健太に対するコンプレックスを心配したのだろう、中学生になるとき、母親は「教室を辞める」と電話してきた。環境を一新させたいという母親の気持ちもわかるので、ボクもなおみ先生もあきらめた。


ところがおよそ親に反抗したことのなかったさとるが、「シュウ先生先生のところでないといやだ」と言い出してきかなかったらしい。数日後に母親がお菓子を持って、退会の撤回を頼みに来た。さとるは塾だけでなく、健太と同じ中学、そしてサッカー部を自分の意思で選んだ。母親はもちろん、まわりの友だちも、そしてボクたちも驚き、彼を見直した。

サッカー部では、中2からレギュラーに定着した大悟や健太と同じように、一度も練習を休まなかったが、生来、スポーツが得意な方ではないので、とうとう3年生になっても試合には出られなかった。彼が水を持って迎える選手たちの中には、先発に選ばれている下級生もいるのだ。

休日を返上してボクとなおみ先生が出かけて来たのには、最後の大会をベンチで迎える彼を見届ける気持ちが大きい。

後半が始まると、試合展開はますます防戦一方になった。10分過ぎ、圧力で押し込まれるように追加点をもぎ取られる。大黒柱の大悟は一人前線に孤立し、ほとんどボールが回ってくることがない。それでも仲間を信じてひたすら走る。下がってボールを受けても、自分で強引に突破しようとはせず、サイドにパスを散らしては、ゴール前に走った。

◆◆◆

以前、大悟と健太は万引きグループに脅されて、見張り役に立ってしまったことがある。ボクは、鬼のように二人を叱ってから、事件の後始末をした。彼らには「たとえ万引きグループにボコボコにされても、もうやめようと言って来い!」と命令した。深く反省した彼らはその通りにしたらしいが、どうやらボコボコにはされずにすんだ。

自陣深いところで、健太がボールを奪い大悟にスルーパスを通した。もう飛び出して行ける味方がいないのを見た大悟は反転し、初めてドリブルを仕掛けたが、たちまち数人の敵に囲まれてつぶされ、逆にカウンターから決定的な3点目を奪われた。

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入会して間もなく大悟は試合で大怪我をした。松葉杖で自転車に乗れない彼に、「教室に来るときはなんとか歩いて来てくれ」と頼み、帰りはボクが車で送った。骨折が癒えるまでずっとそうした。そう言えば、コクリツに連れて行ってもらう約束もその車の中で初めてしたのだ。

「大悟!しっかり!!」

ボクは観客席を離れ、EF300を大悟に向けっぱなしにしてシャッターを切り続けた。だから「それ」を見たのはなおみ先生だけだった。ロスタイム、監督は、快速で右サイドを支えていた2年生に代えて、さとるをピッチに送った。矢のように密集に走ったさとるが、波状攻撃する敵のボールを大きくクリアした。なおみ先生のまぶたから涙があふれた。ボクに知らせようと走り出したとき、試合終了の笛が響いた。

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ファインダーの中で大悟が泣く。ユニフォームで覆った顔をあげることができない。徹の次に運動量の多かった健太は、涼しい笑顔を見せていた。どこまでも見栄っ張りな奴だ。足を引きずりながら大悟に歩み寄ると、その背中をポンと叩いた。

試合終了と同時に降り出した雨が大粒になってきた。涙の止まらない大悟に率いられて、選手たちが観客席の前で作った挨拶の列に、誇らしげなさとるの顔があった。健太がボクたちを見つけて近づいて来る。彼の母親は仕事で応援に来られなかった。

ボクが

「残念だったな。」

と、声をかけながら手を出すと、健太がその手を握り返しながら、また白い歯を見せて笑った。その笑顔の奥で、泣きじゃくる大悟よりも強い悔しさをこらえていることをボクとなおみ先生だけが知っている。

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